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福留校長先生インタビュー【前編:学校運営と教育】

更新日:2023年7月16日

新しい校長先生って、どんな人?

4月に着任された福留校長先生のお話を、保護者会で聞かれた方も多いかもしれません。でもでも、もっと色々聞いてみたーい!…ということで、PTA直々にインタビューを申込みまして、快諾いただきました!長年の教師経験に基づく教育に対する熱~い想いから、ご自身の子どもの頃のお話、保護者へのメッセージなど、あっという間の30分(のつもりが50分?)でした。




福留 修一(ふくとめ しゅういち)
Profile:
鹿児島出身。東京都千代田区、杉並区、世田谷区(松沢小学校、京西小学校)の教員をしたのち、江東区と渋谷区で副校長を務め、弦小の校長として再び世田谷に。


聞き手:PTA副会長 後藤


■弦巻小学校の印象


---本日はよろしくお願いします!着任されて1か月経ちましたが、弦巻小学校の印象は?


とにかく活気がある印象で、子どもたちの人数が多くて、先生方や職員の人数も多いことにまず圧倒されました。学年のチームワークも良い学校だと思います。先日、遠足で私も一緒に駒沢公園に行ったのですが、主事さん達が児童の交通安全のために率先して走ってくれたり、学年間で分担をしっかり行ったり、学校全体で協力して子どもたちのための活動が進んでいると感じます。運動会の実施案を見ても先生や職員の皆さんがそれぞれの役割で取り組んでいらっしゃる。人数も多いし組織的に動いていて、ダイナミックさを感じますね。


---学校ごとのカラー、というものはあるものなのでしょうか?


今までの経験から言うと、学校のカラーはその時々の職員構成や地域性、タイミングなど、様々な要素が混ざって生まれます。今はあまり強く言われませんが、ある時から「特色を出しなさい」というのが始まった時期があったのです。管理職になる前でしたが、僕は普通の学校じゃダメなのかな、とも思っていたのですが(笑)。


前任の学校では恵比寿の繁華街、商店街という立地と、創立110周年を迎え地域との関りが深いという特色がありましたし、千駄ヶ谷にいた頃は「東京2020東京オリンピック・パラリンピック競技大会」がちょうど実施される時期でしたので、その影響がありましたね。1964年の東京オリンピックを体験されていた方がまだいらっしゃったので、その方々との交流もありました。いろいろなことが複合的に入り混じって学校のカラーというものが出来ていくのだと思います。弦巻小学校は、住宅地の中という立地、開校80周年を昨年迎えられたという歴史と、歴史あるボロ市の開催など、地元密着の要素もカラーとなっているのではないでしょうか。


---遠足では駒沢公園に行かれていましたが?


遠足はとても楽しかったですよ。3年生の時は駒沢公園ではちょうど餃子フェス(クラフト餃子フェス2023)をやっていまして、混雑する事を凄く心配していたのですが、子どもたちが遊んでいた自由広場には餃子を手にした方は一切いらっしゃらなかったので、安心しました。

本校は人数が1学年で120人くらいいますので、電車での移動は条件が厳しいのですよ。例えば、世田谷線に一度に全員乗れないようなのです。来年度はそれぞれの学年がいろいろなところに行けるように考えていきたいですね。





■弦巻小学校の学校運営と教育


---弦小をどんな学校にしていきたいですか?また学校教育に関して、どのようなお考えをお持ちですか?


学校運営の方針は先日の保護者会でお示ししました通りですが、学校教育に関して特に「知的魅力にあふれ」「人間関係を培える場」にしたいと思っています。


「知的魅力にあふれる」がどういう事かと言いますと、僕の子どものころ、学校が知的な最先端の場所だったわけですよ。新しいものを学べるところが、学校。鹿児島の田舎町ではあったのですが、6学年全て6学級で、特別支援学級が1、2クラスありました。卒業アルバムを見ても名前を知らない子がいっぱいいたくらいでした。そのとき定員が45人学級で1学年300人近くいます。今の弦巻小の1/3以上の子どもが1学年にいたことになります。

僕自身にとって学校は新しいものも目にするし、友達がいっぱいできるところでした。学校行事も、今から思うと大変だったかもしれませんが、その中でも楽しみもあれば、苦手なことに対しては嫌だなと思いながら参加しましたし、遠足も年に3回ありました。毎週土曜日がある時間割だったので、時間的にも余裕があったのでしょうね。そのような中で育ってきました。


東京で教員になった時、学校規模が小さくなったことが印象的でした。それでも学校というところは子どもたちにとって、知的に魅力的なところであったし、特別活動や遠足など学校行事も含めて魅力ある場にしたいなと担任時代から思っていました。学校生活の中で、1コマ45分の授業時間は学校生活で子ども達が、一番長く過ごす時間です。授業の時間の中で学びの楽しさをいかに味わってもらうかが教員の仕事で大切であり、自分もそう意識してきましたし、若い先生たちともそういう話をしてきました。授業では「楽しくわかる」ということと「集団の力」、さきほどダイナミックという話もしましたけど、「集団の力」で育っていけるようにしたい。


「集団知」も学校の重要な側面だと思っています。昔読んだ本の中で、1年生の時に読んだ本で今でも覚えているんですけど、Q&A方式の本でした。その本の中に、「なぜ学校に行かないといけないのですか?」という質問があったんですよ。その本の答えは「一人で学べることには限界がある、みんなで学べるものがあるから(一人では学べないものがある)」、というような内容で、つまり学校というのはみんなで学ぶ所なんだ、という説明に腹落ちしたんです。知識を得たいだけなら、ネットで調べたり書籍を読んだりするだけで事足りるかもしれません。でも、学校では友達と話し合ったり、ディベートのような討論会をしたり、様々な考えがあることを学べますし、人間関係も培われます。仲良く集団の力で学びを深められる。弦巻小学校も、そんな場所にしたいですね。



---先ほどおっしゃった「楽しくわかる」授業ってどういうものなのでしょう?


(今までの教員生活の中で考えてきたことですが)やっぱり僕は【?】=はてなと、【!】=びっくりマークのある授業が必要だと思っています。なぜだろうな、と思わせる仕掛けも必要だし、「そうだったんだ」という気付き(驚きを伴う)があって腹落ちする、と。

【?】どうして?という疑問と、【!】そうだったんだ!という驚きや発見。これらを通じて、子どもたちに学びの楽しさを味わってもらいたい。



例えば私が初めて1年生の担任をした時の話なのですが、1年生の一時間の内容って説明してしまえば5分か10分で終わってしまうわけですよ。あとの時間どうしよう、隣の教室を「何をやっているのかなー」と覗いてみたり。

小学校の授業というのは、説明をすれば5分や10分で終わることを、いろいろな活動をさせたりとか、モノを作らせたりとかで子どもたちにわからせていきます。発見させていきます。授業には1時間の中のねらいがあって、「こういう力を身につけさせたい」ということがあります。


例えば、円の面積は「半径×半径×3.14」で求められますよ、という話をしてしまえば2,3分で終わってしまう。等積変形、円を扇形に細かく切って平行四辺形にしていってギザギザを細かくしていくとまっすぐになっていくのでそれで円の面積が測れる、という説明がありますよね。それをやっても10分くらいで終わってしまうんです。どうやって子どもたちに体験させながらやっていくか、座って頭の中で考えるだけの授業ではなく、活動させその中から発見させたり気づかせたりしたいということです。


教育(の方法論)って基本的には「One of them」なので、これだけが正しいということはないんです。先生たちには指導資料がありますのでそれに基づいてやっていくのが基本にはなっているのですが、そこに一味プラスのものを付け加えていくには、専門的な知識や経験が必要です。

こんな風にやったらうまくいくよ、というのが今はネットに上がっていますし、私の若い頃は本しかなかったのですよ。ただ、その通りにやってもうまくいかないんです。全部がうまくいかないわけではなくて、教材の最初の活動は子どもたちも食いつくんですけど、その先は子どもたちの実態が違うので、その通りやってもうまくいかない。自分の経験不足もあります。それをなんでうまくいかなかったのか、を考えて工夫していく。

「学ぶことはまねること」という言葉がありますが、まずは先人、自分の先輩の実践をよく見て学んでいった方が良いことはあります。


さっきの円の面積の話をすると、「先生、僕は納得いかないです。(扇形の円周部分が)曲がってるじゃないですか」という児童が何人か出てくるわけですよ。そうすると僕は言うんです。「○○小学校の校庭は曲がっていると思う?地球はどんな形をしている?地球は曲がっているかもしれないけど、校庭のように全体の中から見て小さいところだとまっすぐ(と考えても良い)ですよね」というように。そうすると「ホントだ!」となるんです。これも先輩の実践例から学んだことです。

授業を「楽しく分かるよう」にするためには、経験と教材研究とが大きいと思うんですね。



大人にとって分りやすい説明の順番というのがあるんです。私が大学三年生の時の初めての教育実習でやらせてもらった「玉川上水の授業」に対して指導教官からなんて言われたか。「ゼミの報告聞いているみたいだ」と言われてしまったんですよ。大人にとって分かりやすい説明するときには、前提条件を説明して最終的に結論が出てくる。でも、それでは子どもたちにとってはつまらない面があるわけです。そうではなくて、大人がA-B-Cの順番に説明されたらわかることを、敢えてCから始める、Bから始める、そうするとそこに疑問(?)が起きてくるわけですよ。

そのような論理の展開も授業を面白くする一つの手ですよね。


---子どもたちにとっては理路整然と説明されるよりも、なぜだろう、があったほうが良い?


そうですね。それも一つあると思います。正しく説明することが悪いというわけではなく、きちんと説明をして押さえなければいけないこともあるわけですから、使い分けが必要ですよね。


私が担任をしていたころに、一学期に一つでよいから、あるいは一年間に一つで良いから、自分オリジナルのもの(教材・授業展開)を実践することを言われたことがありまして。僕は社会科の歴史が好きだったので、5,6年生を受け持つことが多かったのですが、社会科の授業を中心にオリジナルの授業づくりにチャレンジしていました。

副校長時代でも先生たちと話し合ったのは、「子どもたちがどうやったら驚くだろうか、を常に考えてみましょう」と。毎時間行うのは苦しいのですけど、いつも意識して授業を進めていく必要があると思います。

授業を行う際に、私の若い頃は今のようなICT機器が無く、OHPを使っていまして。OHPはご存じですか?そこから徐々にビデオが入ってきて、パソコンが入ってきて・・・。


---その意味だと、今のITの変化は激しくないですか?


激しいですね。特にコロナ禍への対応の結果として一つの良かった点だと思います。ICTのGIGAスクール構想の整備が前倒しになったじゃないですか。オンラインの授業をしなければいけない、とかオンラインの学習を家で行ってもらう必要がある。それで急速に進みましたよね。だから、今の環境というのは授業づくりにとってすごく良いなと思っています。

昔は本しかなかったので、本を探してからコピーして、OHPシートに、当時お茶の水の専門店で一枚数百円取られたと思いますがコピーして授業をやっていました。今は教材をタブレットに取り込んでパワーポイントで提示するとか、凄くやりやすくなりましたよね。


ICT機器が入ったときに一つの壁になったのは子どもたちのタイピングだったんです。つまり入力。

入力がうまくいかないと、「書いたほうが早いじゃん」となっちゃうわけです。だけど、紙に書くことを否定するわけではないですが、例えば教員がチェックするときに現物が無いとダメ、ノートも全員分集めると凄い量になる。それがICT機器を活用するとクラウドに提出してもらって、それを見れば何もいらないわけです。


副校長時代に担任の代わりに授業に入ったことが何回かあるんですが、沖縄について調べてまとめる学習で作成途中段階の児童のデジタル化されたワークシートや作品を見ると児童が選んだテーマもわかるし、放課後にチェックして、次の時間にそれぞれの児童に「こういう見方をしてたんだね」と返せるわけです。

先生たちが出来るだけ早く帰れるように仕事の効率化をやっていく必要があるんですけど、ICT機器の活用による効率化によって授業準備にかけられる時間をどれだけ作れるかが大事だなと思います。


私が担任をやっていた頃は学校外にも学びに行っていました。例えば、月1回金曜日の夜に社会科の先生が集まるサークルのようなものがあって行っていました。金曜日の夜ですから疲れているわけですよ。そこで自分がやった授業の実践をレポートして意見をもらったり、他の先生の実践報告を聞いたりと、結構しんどいですけど、それがあったおかげで授業の改善の方法がわかったと思っています。そういうことは必要だと思うんですけど、今は他にやることがいっぱいあって、それを今の先生たち全員に求めるのは酷なことなので、出来るだけ学校にいる時間の中で授業を考える時間を確保してあげたい。そのためにもICT環境を有効に活用していきたいと思っています。


後編では福留校長先生が考える「保護者が子どもとどう接すると良いか」についてのお話です。


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