PTA会長 岡田憲治 #007 「考えなさい」と「考えるな」 学びをして言葉が増えると、物を考えることができるようになる、という話を前回しました。 でも、ごめんなさい。「考える」ということも、やっぱり1種類ではなくて、もうちょっと分けなければなりません。これをまた別の言葉で言いかえなければなりません。 私は算数のところで、「3/8で割る」ということを頭の中でえがけなかったとお話ししました。3/8で割るということを「考えられなかった」のです。だからここで言う「考える」とは「頭の中で想像する」という意味です。 ところが「考える」の中には、頭のテレビに映してみる以外にも、「こうじゃないかと予想を立てる」あるいは、「 A と B とを結びつけてみる」という、物事のつながりに気づこうとするはたらきもあるのです。 友だちがいじめられている。僕はそれを知っている。でも彼は笑って「そんなことないよ」と言っている。そうか。・・・でも、一人ぼっちのときの彼はさびしそうだな。無理をしているように見えるな。もしかしたら、いじめられていると言ったら、もっとひどくいじめられるから、笑っているんじゃないだろうか・・・。こういうふうに結びつけてみるわけです。「いじめられてないよ」・・・「そうか」で終わりにしないで、「考える」のです。 このとき、もし「あえて笑ってみせる」という言葉を知らなかったらどうなるでしょうか?「あえて+笑って+みせる」 の「笑って」はみんな知っています。でも「あえて」と「みせる」が足される、つまり言葉が増えると「笑っているからって楽しいとは限らないね」と考えることができます。「笑う」と「楽しくない」を結びつけてみるという頭の働きです。 こうなってくると、いじめられているのに笑っている友だちの気持ちが、またちょっとわかってきます。それは別の友だちが言う「あいつは別にいじめられてねえよ」という人づてに知ったことよりも、自分で考えてみた分、もう少しよくわかっていることになります。こういう風になったのは、ひとえに言葉が増えたからです。 そうすると、先生や保護者が「よく考えなさい!」というとき、それはどういう意味で言っているのか確かめてみたくなりますよね。「まったく怒られることばかりして!よく考えなさい!」とかうるさく言われますから(でも、そうやって大声になっている母さんに「それはどういうことですか?」なんて尋ねると、怒りが3倍ぐらいになるので、たずねるタイミングが大事ですな)。 テストの点が悪かったときも、「もっとちゃんと考えなさいよ!」なんて叱られても、「考える」を分けてみないと、次にどうしたらいいのかわからなくなります。つまり「考えなさい」という言葉は、あんまり大雑把に使うと、「うるせえなぁ!わかったよ!ちゃんと覚えて暗記すればいいんだろう?」と、違うメッセージになってしまいます。「考えなさい!」と言いながら実は「考えないでとにかく覚えなさい」と言っているのです(ここはとくに、保護者のみなさんに強くお伝えしたいところです)。 さて次回は、この裏側の話、つまり「まちがえること」についてです。
つづく。